二宮町のガラスのうさぎ像と千羽鶴からつなぐ平和への願い
神奈川県の西湘エリア中郡に二宮という人口約2万7000人の町があります。大磯町と隣接し平塚市と小田原市の間に位置しています。
今回はその二宮町にあるガラスのうさぎ像と8月に飾られる千羽鶴についてご紹介していきます。ガラスのうさぎはどんな意味のある像なのか、なぜその場所に千羽鶴が飾られているのか、詳しく解説していきます。
忙しい日々の中にあると、平和や戦争について考える機会はつい少なくなります。ですが私たちが幸せに暮らしていく上で、最も欠かせないものの一つが平和です。もし良かったらこの機会に、今一度平和について一緒に考えていきましょう!
目次
ガラスのうさぎ像について
ガラスのうさぎ像はJR東海道線の二宮駅南口の階段を降りてすぐの場所にあります。ではいつ頃なぜこの場所にこの像が建てられたのでしょうか?
ガラスのうさぎの基本情報
- 建立年月日 :1981(昭和56)年8月5日
- 建立者 :「ガラスのうさぎ」像を二宮駅に建てる会
- 製作者 :圓鍔勝三 氏
- 住所 :神奈川県中郡二宮町二宮838付近
- お問い合わせ:二宮町総務部総務課庶務人事班 電話: 0463-71-3315
参考サイト:総務省|一般戦災死没者の追悼|ガラスのうさぎ像
ガラスのうさぎ像の由来
ガラスのうさぎ像の由来について、この像のすぐ傍に記念碑文としてこのように記されていました。
太平洋戦争終結直前の昭和20年8月5日、ここJR二宮駅(当時国鉄)周辺には艦載機P51の機銃掃射を受け、幾人かの尊い生命がその犠牲となりました。
この時、目の前で父を失った12歳の少女が、その悲しみを乗り越え、けなげに生き抜く姿を描いた戦争体験記「ガラスのうさぎ」(高木敏子さん著)は国民の心に深い感動を呼び起こし、戦争の悲惨さを強く印象づけました。
この像は、私たち二宮町民が平和の尊さを後世に伝えるために、また少女を優しく励ました人たちの友情をたたえるために、多くの方々のご協力をいただき建てたものです。
少女が胸に抱えているのは、父の形見となったガラスのうさぎです。
引用元:ガラスのうさぎ | 二宮町
1945(昭和20)年の8月5日というと、78年前の終戦から数えて10日前にあたる日です。その頃と比べると人々の生活は大きく変わっています。戦時中の実体験を語って下さる方も少なくなってきました。
それでも私たちにとって戦争が大きな脅威であることは少しも変わりません。平和の尊さを忘れることなく、「ガラスのうさぎ」著者の高木敏子さんからのバトンをつないでいけたらと思うのです。
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ガラスのうさぎ像と千羽鶴の関係
町民有志の寄付で建てられたガラスのうさぎ像を千羽鶴で彩るようになったのは2009年の夏からのことです。二宮町内外の個人や学校、団体が「平和への思いを次世代につなぎたい」との願いを込めて、毎年約5万羽にもなる鶴を持ち寄り8/1〜8/15の間、飾り付けを行うようになったそうです。
また二宮町では、この二度と戦争を繰り返してはならないという願いのもと毎年8月5日に「平和と友情のつどい」を開催しています。
ガラスのうさぎの関連作品
児童文学作家の高木敏子さんによって書かれたノンフィクション文学「ガラスのうさぎ」は三度に渡り映像化もされています。
- 「東京大空襲 ガラスのうさぎ」(1979年公開 実写映画)
- 「銀河テレビ小説 ガラスのうさぎ」(1980年放送 NHKテレビドラマ)
- 「アニメ映画 ガラスのうさぎ」(2005年公開 長編アニメーション映画)
二宮町は平和と菜の花の町
二宮町と平和
1981年に有志の住民達によってガラスのうさぎ像が建てられ、その翌年の1982年には二宮町議会にて「平和都市宣言」が決議されました。
また二宮町は、2014年に平和首長会議(166カ国8271都市参加※2023年8月現在)の基本理念・活動に賛同し加盟することとなりました。
8月5日に行われている「平和と友情の集い」は、2023年まで第32回に渡り開催されています。
参考サイト:二宮町の歴史 | 二宮町
二宮町の菜の花
二宮町はすぐそばの海や少し離れた箱根や丹沢の山々に囲まれており、豊かな自然を味わうことのできる町です。
ガラスのうさぎ像のある南口とは反対の北口を降り少し歩くと、二宮町の人気観光スポットである吾妻山公園があります。吾妻山公園の山頂(標高:136.2M)からは海と山の眺望が楽しめて圧巻です。
また吾妻山公園の山頂に咲く菜の花ウォッチングはとても人気があります。見頃の1月〜2月を迎えるとたくさんの観光客が訪れる場所となっています。
まとめ
今回は神奈川県西湘エリアの二宮駅にあるガラスのうさぎ像と平和についてを中心に
を紹介してきました。
私は戦争を実体験としては知らない世代ですが、幼少期から人や作品を通して戦争や平和について触れる機会が度々ありました。戦争の怖さや平和の尊さは忘れてはいけないものなのだと、私の心につないでくれたのです。
人類の歴史は争いの歴史でもあると言われます。だからこそこの過ちや悲劇を繰り返さないように、多くの方が辛い記憶を呼び起こし私たちに作品や談話を通して伝えてくれたのだと思います。
長い年月をかけてつないできた方々の平和への願いを、また次の世代へつなげていけるように。日本だけではなく世界中の人々へとつなげていけるように。諦めずにできることを探していこうとガラスのうさぎは教えてくれています。
少しでも二宮町にあるガラスのうさぎ像と平和への願いに興味を持ってくれた方がいたなら幸いです。最後まで読んで下さりありがとうございました!